深夜にかける
深夜の出社を強いられた。
仕事柄深夜の仕事があるのは仕方がない。
しかし、今回のこの案件は私のものではない。
うちの部のお荷物大先輩(59)のものだ。
もうすぐ定年のこの人の仕事を私が引き継ぐことになるからか、私が駆り出された。
そもそも、この人の仕事を私が継がなければならない状況がどうかしている。私はほか案件で手一杯なのだから。
ここだけを聞けば私のことをゆとりだなんだと批難する人もいるかもしれない。奴隷根性たくましい国民が多いこの国では当然だろう。
しかし、現在、私の部は通常運営から見ると2人欠員が出ている状況だ。相次いで退職者が出たためだ。
私と課長、お荷物大先輩の3人しかいない。
お荷物大先輩はすぐにクレームを発生させ、出禁のクライアントも数知れずのために、実働舞台は2人と言っても過言ではない。
社会に出て2年の私に課長と半々……とは言わないまでもここまでの負担がかかる……まったく、どうかしているとしか言いようがない。
そんなことを考えながら自宅を出た。
エレベーターに乗り、Bluetoothのイヤホンを耳に嵌める。怒りのヘヴィメタルが流れる。
The冠の曲である。
音楽を深夜に聴くことはすこし新鮮ではあった。が、非常に不本意な深夜出勤を思うとそんな刹那的な情緒など無いに等しい。掻き消える。
エレベーターを降り、マンションを出る。
ふと入口近くにある花壇を見やる。
夜だからか、花壇の縁でゴキブリが活き活きと月光を浴びていた。
マンション前の花壇にいたゴキブリに見送られながら家を出る……。
俺は今日、ゴキブリにすら同情される境遇だという。
退職への決意が固まる……と言えどもこの決意は何度固めたものだったか。
こういう意思の弱さが、俺が、ゴキブリに同情されるされるが所以ではないのか。
いや、むしろゴキブリの方がよほどいいのではないか?
彼らにもはした金(食料?)で、契約により、労働を強いられることがあるのだろうか。
いやいや、食料諸々自分で何とかしなければならないのだから一口に楽だとは言いきれないかもしれない。
言うなれば個人事業主的生き方をしているとも……。
くだらないことを考えながら、くだらない仕事へ向かう。駅のホームには疎らに人がいた。
ごうごうと電車の音がする。
駅には夜も朝もなく、等しく人工の光が照らしているのだった。
48時間のツイ禁でわかったこと
こんにちは。いたみです。
私先日、半沢直樹をリアタイ出来ず、録画を見るまでの間にネタバレを食らうのを避けたいがために、図らずして48時間ツイ禁をいたしました。
ただただTwitterを開かないという甘いものではなく(?)、アンインストールまでしました。
本当に辞めるならアカウントを消せという話ですが、辞める気は毛頭ありませんので。Twitter辞めたい。
さて、ここからが本題です。
Twitterに48時間触れないだけで3つほどわかった、見えてきたことがあります。
今回はそれについてお話したいと思います。
興味をもって頂けた方はどうぞ最後までお付き合いのほどお願いいたします。
わかったこと①_思ったより依存している
Twitter辞めたい旨の記事で「これは依存だ」と書きましたが、実のところ心のどこかで「でも本気になればすぐ辞めれる」とタカをくくっておりました。
しかし、一度アンインストールしてみてTwitterをしている(見ている、ツイートしている)時間があまりに膨大だということがわかりました。
進研ゼミのベネッセが、タスクとタスクの間の何をするでもない時間を「スキマ時間」と名付け、そこを活用し、小さな積み重ねでライバルに差をつけろ!と謳っております。
驚くべきことに私はそのスキマ時間のすべてをTwitterにあてていたのです。
通勤時間、昼食後の昼休憩の残り時間、電車を待つ時間、オフィスへのエレベーターを待つ時間……
挙げはじめるとキリのないほどの時間、回数、私はTwitterを開こうと試んだのです。
なんと恐ろしいことでしょうか……。
わかったこと②_コミュニケーションに更なる労力が必要になる
Twitterを開かなくなって世間と繋がっている感覚の喪失を覚えました。
誰が何をしているのか。それを断片的に知ることができるのがTwitterのひとつの特徴です。
今まで指先ひとつで得られていたそれらの情報の一切が遮断されました。
そうすると何が起こるのか。
コミュニケーションにかかる労力が増えます。
どういうことか。例えば「誰かと飲みにいきたいな」と思いついたとしましょう。
そこでTwitterを開くと誰かしらそこにいるわけです。その人とは飲みに行ける行けない以前の問題として、確実にコミュニケーションがとれます。
しかし、Twitterがなければ。
LINEでわざわざ誰かを選び、声をかけることになります。
そこからすぐにレスポンスが来るとは限りません。ラインにはオンラインオフラインを通知する機能はありませんから。――というよりあったら嫌です。――誘ってから1時間後「寝てた笑」も全然ありえるわけです。
1人誘ってレスポンスがないうちにもう1人に声をかけるか否かも迷いどころです。
こういう意味でコミュニケーションをとる際の労力が増えます。
さすがSNSの代表格と言った所でしょうか……なければここまでコミュニケーションに支障が出るとは……。
③_アウトプットの場がなくなった
私はよわい人間です。Twitterがないだけでアウトプットの場を失うとは。
……要は街を歩いていて思いついたオヤジギャグや日常でのちょっとおもしろかったことを供養する場所がなくなっただけの話ではありますが……。意識高く言うならアウトプットの場を失いました。
もっと意識を高めることができれば、ふと浮かんだことをストックしておいてブログか何かで発信できる、アウトプットできるのかもしれません。
しかしながら、アウトプットの場を求めている自分に気がつくことができたのは収穫でした。
社会人になっても意外と何かのつくり手でありたいという精神は死んでいないことがわかったからです。
これを機にもう少し積極的に何かを出してみるのもいいかもしれません。
ブログでも始めようかなあ……
以上がTwitterを辞めてみてわかったことです。
当然ながらTwitterは善し悪しを考えて利用すればいいツールなので、そのあたりをもう一度意識し直して戻ろうと思います。
ここまで回り道をしないとSNSの良さがわからないとは、なんとよわいにんげんなのでしょう。
Twitter辞めたいを真剣に考える Vol.2
Twitter辞めたいを真剣に考える第2部です。
前回は自分の汚い部分を他人を通して見てしまうから辞めたいのだということを書きました。
なんとなくそれが一番大きな理由な気がしますが、一応、今回はその他の理由について書きたいと思います。
何故Twitterを辞めたいのか。
それは……
②「友人の見たくないところを見てしまうから」
です。
これは殆どの人が一度は体験していることではないでしょうか。
普段接しているアノ人なら絶対に言わないことをTwitterでは……というような。
例えば、アイドルの水着姿の自撮りに「エッチですね😅」みたいなリプを送っている友人を見てしまったり。
アイドル同士の会話に入っていく友人を見てしまったり。
コロナのちょっと考えればわかるようなめちゃくちゃなデマの拡散に加担している友人を見てしまったり。
このように知らぬが仏を地で行く体験をしてしまうのがTwitterなのです。
だからこそ、辞めたい。
では次。これで一旦最後です。それは
③「ガチで頭の悪い人を見てしまうから」
です。
べつに私自身めちゃくちゃIQが高いとか学歴が東大卒だとかそういう事実はありません。普通のしがないサラリーマンです。
ではここでいう「ガチで頭の悪い人」とはどういう人か。かなりざっくり言うと
「ガチで頭の悪い人を見てしまうからTwitterを辞めたい」というこの文に対して「じゃああなたはさぞ頭のいい大学を出ているのでしょうね」とか「さっさと辞めれば?Twitterもあなたなんか必要ないと思いますよ?」というような反応をする人たちのことです。
もう少し明確に定義するなら「コミュニケーション能力が皆無」でしょうか。
ここでいうコミュニケーション能力がないとは人見知りは含みません。人見知りの人は慣れれば普通に会話が可能ですので。
例えば駅ですれ違いかけた人に対して「おまえは前の選挙で自民党に入れたから仕事ができないやつだ」と大声で声をかけるような人を指します。
常識がないと言い換えても差支えがないレベルのコミュニケーション能力のなさ。
例えば「ポストは赤いです」と言った人に「〇〇県の〇市にあるポストは青いですが?w」と言ったり「地球は青かった」と言った人に「緑とか白もありますけどw」と言ったりするコミュニケーション能力のなさ。
揚げ足取りをし、悦に浸っている様子も単純に不愉快ですが、何よりこんな人が大勢いることに凄まじい絶望を覚えます。
スルーすればいいじゃないかと自分でも思います。リアルならもちろんそうします。
が、Twitter上ではそのような人もそうでない人も「ツイート」という全く同じ見た目をしています。そのため文字情報として、タイムラインに流れてくる度に少しはその毒素が入ってきてしまうのです。
もはや文字によるテロではないでしょうか。
この治安のいい国日本でテロを受ける環境。
夥しい量の他人の思考が否応なしに流れ込む恐ろしい場所。
だからこそ、辞めたい。
辞めたい。
辞めたい。
ヒュイッ
ポッ
Twitter辞めたいを真剣に考える Vol.1
私はTwitterが嫌いです。
正確に言えば時間があればついついTwitterをしてしまう自分が嫌いです。
薬物依存の方が薬物を嫌うような感覚に似ているのかもしれません。ついつい手を伸ばしてしまうけれども、ふと冷めるとその刹那襲いかかってくる自己嫌悪。
そう。これは依存なのだと思います。
いっそのことアンインストールすれば、アカウントを消して辞めてしまえばいいのに、できないのです。
学生の頃から使っていて習慣化しているからか?ふと思いついたネタツイートを供養する場がなくなるからか?それともツイートに寄せられる反応で承認欲求を満たせなくなるからか?
そのどれもが――或いはもっとほかの多くの理由も含めて――私を依存たらしめています。
依存の原因などあげればおそらくキリがないし、それをつきつめたところで意志の弱さが浮き彫りになり、また自己嫌悪に陥るだけなのでここで一旦置いておこうと思います。
では、そもそも何故辞めたいと思っているのでしょう。
Twitterを利用することに何ら後ろめたいこともなければ、辞めなければならない理由もありません。
寧ろこれは「ヒマだ」というツイートがたまたま近場にいる友人とのお茶会に繋がったりもするような便利なツールでもあります。
そんな便利さを捨ててまで辞めたいと思うのは何故なのでしょう。
なんとなく、自分の中でいくつか答えがあります。
それは、
①「自分の汚い部分を、嫌な部分を、他人を通して見てしまうから」
だと思います。
それが不快で不快でたまらなくて、苦しいのだと思います。
例えば言葉のない自撮りだけのツイート。
自撮りだけでツイートされていたり、もしくは「🥺」だったり「😢」だったりの絵文字をくっつけてツイートされていたりするやつです。
私はこのツイートには
「いいねしてー!!!!!あたし、かわいいでしょ????いいねしてー!!!!!」
という本文があるようにしか見えません。
なんなら、脳がそう勝手に補完してしまいます。
自分もそういう意図があるときにしか自撮りを載せないからです。
これはわりとわかりやすい例だと思います。
また、こんな例もあります。
オタクツイートばかりしている人が時々#NowPlayingのタグとともにOfficial髭男dismやKing Gnuなどのオシャレどころというか世間的に評価されているアーティストの曲名をツイート。
これについても「俺、意外とこういうのも聴くんだぜ?」が透けて見えてたまらなくなります。
このサブスクが浸透した時代において多様な音楽を聴くだけでアイデンティティを確立しようとする試みがまず気持ち悪い。
俺は世間的には理解されにくいオタク趣味だけれども、まあ、メジャーどころにも理解がありますけど?という形の意思表示もまた気持ち悪い。
しかし、これが気持ち悪い理由は自分の中にそいつが確かに存在するからなのです。
この助平心が確実に、存在するのです。
こんなものをあげ始めたらまたまたキリがないことになるが、Twitterを辞めたい理由のひとつの核がここにあると思います。
続く