Twitter辞めたいを真剣に考える Vol.1
私はTwitterが嫌いです。
正確に言えば時間があればついついTwitterをしてしまう自分が嫌いです。
薬物依存の方が薬物を嫌うような感覚に似ているのかもしれません。ついつい手を伸ばしてしまうけれども、ふと冷めるとその刹那襲いかかってくる自己嫌悪。
そう。これは依存なのだと思います。
いっそのことアンインストールすれば、アカウントを消して辞めてしまえばいいのに、できないのです。
学生の頃から使っていて習慣化しているからか?ふと思いついたネタツイートを供養する場がなくなるからか?それともツイートに寄せられる反応で承認欲求を満たせなくなるからか?
そのどれもが――或いはもっとほかの多くの理由も含めて――私を依存たらしめています。
依存の原因などあげればおそらくキリがないし、それをつきつめたところで意志の弱さが浮き彫りになり、また自己嫌悪に陥るだけなのでここで一旦置いておこうと思います。
では、そもそも何故辞めたいと思っているのでしょう。
Twitterを利用することに何ら後ろめたいこともなければ、辞めなければならない理由もありません。
寧ろこれは「ヒマだ」というツイートがたまたま近場にいる友人とのお茶会に繋がったりもするような便利なツールでもあります。
そんな便利さを捨ててまで辞めたいと思うのは何故なのでしょう。
なんとなく、自分の中でいくつか答えがあります。
それは、
①「自分の汚い部分を、嫌な部分を、他人を通して見てしまうから」
だと思います。
それが不快で不快でたまらなくて、苦しいのだと思います。
例えば言葉のない自撮りだけのツイート。
自撮りだけでツイートされていたり、もしくは「🥺」だったり「😢」だったりの絵文字をくっつけてツイートされていたりするやつです。
私はこのツイートには
「いいねしてー!!!!!あたし、かわいいでしょ????いいねしてー!!!!!」
という本文があるようにしか見えません。
なんなら、脳がそう勝手に補完してしまいます。
自分もそういう意図があるときにしか自撮りを載せないからです。
これはわりとわかりやすい例だと思います。
また、こんな例もあります。
オタクツイートばかりしている人が時々#NowPlayingのタグとともにOfficial髭男dismやKing Gnuなどのオシャレどころというか世間的に評価されているアーティストの曲名をツイート。
これについても「俺、意外とこういうのも聴くんだぜ?」が透けて見えてたまらなくなります。
このサブスクが浸透した時代において多様な音楽を聴くだけでアイデンティティを確立しようとする試みがまず気持ち悪い。
俺は世間的には理解されにくいオタク趣味だけれども、まあ、メジャーどころにも理解がありますけど?という形の意思表示もまた気持ち悪い。
しかし、これが気持ち悪い理由は自分の中にそいつが確かに存在するからなのです。
この助平心が確実に、存在するのです。
こんなものをあげ始めたらまたまたキリがないことになるが、Twitterを辞めたい理由のひとつの核がここにあると思います。
続く