いたみ文庫

そのうち曲をつける詩を書いたり、普段考えていることを整理するためにエッセイチックなものを書いたりします。どうぞよろしくお願い申し上げます。

48時間のツイ禁でわかったこと

 

こんにちは。いたみです。

 

私先日、半沢直樹をリアタイ出来ず、録画を見るまでの間にネタバレを食らうのを避けたいがために、図らずして48時間ツイ禁をいたしました。

 

ただただTwitterを開かないという甘いものではなく(?)、アンインストールまでしました。

本当に辞めるならアカウントを消せという話ですが、辞める気は毛頭ありませんので。Twitter辞めたい。

 

さて、ここからが本題です。

Twitterに48時間触れないだけで3つほどわかった、見えてきたことがあります。

今回はそれについてお話したいと思います。

興味をもって頂けた方はどうぞ最後までお付き合いのほどお願いいたします。

 

 

わかったこと①_思ったより依存している

 

Twitter辞めたい旨の記事で「これは依存だ」と書きましたが、実のところ心のどこかで「でも本気になればすぐ辞めれる」とタカをくくっておりました。

しかし、一度アンインストールしてみてTwitterをしている(見ている、ツイートしている)時間があまりに膨大だということがわかりました。

進研ゼミのベネッセが、タスクとタスクの間の何をするでもない時間を「スキマ時間」と名付け、そこを活用し、小さな積み重ねでライバルに差をつけろ!と謳っております。

驚くべきことに私はそのスキマ時間のすべてをTwitterにあてていたのです。

通勤時間、昼食後の昼休憩の残り時間、電車を待つ時間、オフィスへのエレベーターを待つ時間……

挙げはじめるとキリのないほどの時間、回数、私はTwitterを開こうと試んだのです。

なんと恐ろしいことでしょうか……。

 

 

わかったこと②_コミュニケーションに更なる労力が必要になる

 

Twitterを開かなくなって世間と繋がっている感覚の喪失を覚えました。

誰が何をしているのか。それを断片的に知ることができるのがTwitterのひとつの特徴です。

今まで指先ひとつで得られていたそれらの情報の一切が遮断されました。

そうすると何が起こるのか。

コミュニケーションにかかる労力が増えます。

どういうことか。例えば「誰かと飲みにいきたいな」と思いついたとしましょう。

そこでTwitterを開くと誰かしらそこにいるわけです。その人とは飲みに行ける行けない以前の問題として、確実にコミュニケーションがとれます。

しかし、Twitterがなければ。

LINEでわざわざ誰かを選び、声をかけることになります。

そこからすぐにレスポンスが来るとは限りません。ラインにはオンラインオフラインを通知する機能はありませんから。――というよりあったら嫌です。――誘ってから1時間後「寝てた笑」も全然ありえるわけです。

1人誘ってレスポンスがないうちにもう1人に声をかけるか否かも迷いどころです。

こういう意味でコミュニケーションをとる際の労力が増えます。

さすがSNSの代表格と言った所でしょうか……なければここまでコミュニケーションに支障が出るとは……。

 

 

③_アウトプットの場がなくなった

 

私はよわい人間です。Twitterがないだけでアウトプットの場を失うとは。

……要は街を歩いていて思いついたオヤジギャグや日常でのちょっとおもしろかったことを供養する場所がなくなっただけの話ではありますが……。意識高く言うならアウトプットの場を失いました。

もっと意識を高めることができれば、ふと浮かんだことをストックしておいてブログか何かで発信できる、アウトプットできるのかもしれません。

しかしながら、アウトプットの場を求めている自分に気がつくことができたのは収穫でした。

社会人になっても意外と何かのつくり手でありたいという精神は死んでいないことがわかったからです。

これを機にもう少し積極的に何かを出してみるのもいいかもしれません。

ブログでも始めようかなあ……

 

 

 

以上がTwitterを辞めてみてわかったことです。

当然ながらTwitterは善し悪しを考えて利用すればいいツールなので、そのあたりをもう一度意識し直して戻ろうと思います。

ここまで回り道をしないとSNSの良さがわからないとは、なんとよわいにんげんなのでしょう。